とうごまの木陰

普段は学芸員として働くクリスチャンが、本や映画の感想をシェアするブログです。歴史や宗教の話題が多めです。

【ブックレビュー】リチャード・ボウカム『イエス入門』

こんにちは。トモです。

大学生の時に、キリスト者としての信仰の確信を持ち10年が経ちました。まだまだ、聖書について理解できていないことも多く、信仰の在り方について疑問を感じ、落ち込むこともしばしばです。

そのような中でも、先を歩くキリスト者の考えに触れる中で、聖書が語る福音について日々気づきを得ています。そうした発見をシェアできればと思い、このブログを始めました。

最初の投稿は、今年読んだ、イギリスの聖書学者リチャード・ボウカムが著した信仰書の感想です。太字や下線で強調した部分だけでもいいので、是非ご覧ください。

リチャード・ボウカム著、山口希生・横田法路訳『イエス入門』(新教出版社、2013年),
原題 Jesus : A Very Short introduction @ Richard Bauckham 2011

 

  • 本書の特徴と目的

タイトルは『イエス入門』(原題 Jesus : A Very Short introduction)。書名が示す通り、キリスト教についての入門書と言えるのですが、この本なかなか甘く見てはいけません。というのも、著者の主張が、しっかりとした史料的根拠に裏打ちされているのが、本書の特徴だからです。

当たり前ではないかと思われるかもしれませんが、学術書や専門書であればそうでも、一般向けの信仰書としては非常に画期的ではないかと思うのです。

 

もちろん著者もそのことに意識的で、冒頭の日本の読者へ向けたメッセージにおいて

本書ではとくに、イエスをその歴史的文脈に置き、そのために歴史家が入手できる最良の資料と方法論を用いようと試みました(pp.3-4)

と説明されています。ボウカムは、はじめケンブリッジ大学歴史学を学んでいました。聖書学者であり、歴史学者でもあることが、こうした本書の叙述にも反映されているようです。

 

  • 前半-福音書を歴史的な資料として読む

次に内容に入っていきます。本書では全体として、福音書の記事を、当時の出来事を目撃した人々の証言集として位置づける大胆な試みがなされています。

その根拠の一つとして、マルコ福音書の著者がペトロの通訳者であり、ペトロが述べたイエスの現行に基づいてマルコが記述したという二世紀初頭の司祭の証言が挙げられています(第2章)。

比較的近い時代の資料を用いることは、歴史研究の方法論として理に適っており、説得的です。

 

さらに、著者は、共観福音書(マルコ福音書およびそれを基に記されたマタイ福音書、ルカ福音書)と、ヨハネ福音書との違いに注意を払っています。

著者の想定では、ヨハネは彼自身が(イエスの)目撃者であり、イエスの記憶を生涯にわたって思い巡らしてきたことによる《思索的解釈》が、ヨハネ福音書に散りばめられていると説明します。そのため、他の福音書が控えめに解釈していたイエスについて、創造的な解釈が行われていることを理解すべきだと言います(第2章、第6章)。

これについても、歴史資料の性格を踏まえた上で、テキストを解釈することは歴史学の鉄則であり、著者の主張は的を射ています。

 

本書の後半では、イエスの生涯が、福音書を編集した原始キリスト教徒たちに与えた意味、さらには十字架と復活へと著者の分析が及びます。

 

イエスが復活後に、たびたび顕現したことの目撃者たちは、原始キリスト教共同体の中で生き続けた人々だったことが注目されます。彼らが証したのは、自身に起こった人生を変えるような特別な体験でした。

著者は、日本人作家・遠藤周作の以下の文章を引用し、もし私たちがイエスの復活を信じないとすれば、弟子たちにはそれと同次元の衝撃的な出来事が起こったことを想定しなければならないことを指摘しています(第7章)。

イエスの死から生じた感動、驚愕、思慕だけでは彼等の生涯はあれほど支配されなかったと考えるほうがより正確である。とするならば、(ここから引用-筆者注)彼等には別の次元から何か筆舌では言えぬ衝撃的な出来事が起こったと考えるより仕方がない。遠藤周作『イエスの生涯』新潮文庫、1982年、p.248)

著者や遠藤周作の言葉が示唆しているように、イエスの死に深く幻滅していた弟子たちを奮い立たせるものは、復活以外には中々想定しがたいと、私も考えています。

 

もし、キリストの復活を含む福音書に記される出来事が創作であったとすれば、以上のような本書が示す論理的妥当性は、別の論理によって乗り越えられなければなりません(※) しかし現時点で私は、聖書の歴史性を否定するだけの納得のいく説明を聞いたことがありません。

※イエスの死という現実を受け入れることのできなかった弟子たちが、復活をでっち上げたのではないかという反論が想定されます。この点については、大学時代に私も悩み、先輩のクリスチャンから「人は自らのついた嘘のために命をかけることはできない」(弟子たちのほぼ全員が殉教している)と教えてもらったことがあります。また別の機会に記したいと思います。

雑駁なまとめとなりましたが、私の感想として、福音書はイエスと同時代に生きた人々の証言をまとめたものである蓋然性は高く、著者の"福音書を歴史的な資料として読む試み"は成功しているように思います。福音書が書かれた背景に関心のある方にオススメの一冊です。